胃の内視鏡手術:その2

胃の内視鏡手術:その2

そんなに負担の少ない手術でも、受ける立場だと「一時間も内視鏡が、胃の中で色々な動きをしている」と想像するだけで、気分がだんだん不快になったきました。

気分が不快になると、体がそれに呼応して、異物である内視鏡への拒否反応が強くなりだし、食道が内視鏡をまるで外に出そうとしているような感覚になってきました。
そして胃には「何も入っていない」にもかかわらず、吐き気が抑えらなくなって肩に力が入ってしまいます。「頭では、安静にしていることが先生の作業を手助けする唯一の方法だとわかっているのに、大人のくせに情けない。」と自責の念まで湧き上がってきてしまいました。

すると、それを見兼ねた看護師さんが、私の肩を抱いて「心配要りません。もっと体の力を抜いて楽にしてください。手術は順調に進んでいますから、もう直ぐ終わりますからね。」と励ましてくださいました。

言われるままに、肩の力を抜くこと意識しながら深呼吸を整え、「まな板の鯉だ。じたばたしても仕方ないから」と自分に言い聞かせ、目を閉じハワイの海岸にいる想像をしました。

詳しくは分かりませんでしたが、手術の途中で内視鏡を取り替え、約1時間の手術でした。

ベテラン医師は、自信に満ちた表情で「全て上手くいきました。ただ胃の表面を削っていますので、少し入院して胃を整えます。」とおっしゃってくださいました。

病室のベットに戻ってしばらくしてから、やっと手術の成功に安堵の胸を撫で下ろしました。

はじめは、「グリーンのボトルに入った液体」(アルロイドG内服液5%、株式会社カイゲン)が私の主食でした。看護師さんが、「毎日これを飲んで胃の調子を整えてから、次第にお粥、普通のご飯に移行しますからね。」と説明してくださいました。

その時、グリーンのボトルを手に掲げた看護師さんの姿が、何とも神々しく輝いて見えました。(男は、看護師さんに弱い訳です)。

「そのボトルが、自分の命を繋いでくれるのか」と納得したことを昨日のように覚えています。今では、空になったその時のボトルを、自分今の命の原点の記念として、書斎の本棚に陳列しています。そして、がんの再発に対する戒めとして時々眺めています。

ちょうど、徳川家康が三方ヶ原の合戦に敗れて岡崎城に帰った直後、その惨めな姿を描かせて、その自画像を「自らへの戒めとして、生涯掛け軸として飾っていた」のと同じように、私は今もグリーンのボトルを見ています。

グリーンのボトルを卒業してから、次は水のようなお粥から摂取しだしました。月並みですが、普通の食事を普通に食べられることの有難さをしみじみと実感しました。一週間で常食に戻ることができ、無事に退院することができました。