横浜通院 その4 診察 ついに「2ヶ月おきの通院」で可?

話が、随分とそれてしまいました。そうした日本農業への思いにうつうつとしながら、診察室に入ると、12時を少し回ったばかりだというのに既に患者さんが来ていました。
以前火曜にお目に掛かっていた、柏からいらっしゃる大学の先生でした。骨転移もされていたため、以前は体力的にも通院が辛いご様子でしたが、今日のお顔は晴れ晴れとされておりました。お話を伺うと、既に「がんはゼロ」になり、月に一度の通院で済んでいる状態とのことでした。前田先生は、「通い続ければ、必ず治ります」と随分前に話されていたことを思い出しました。

大学の先生とお話していると、陶芸家の先生がお見えになりました。よほどご縁があると見えます。陶芸家の先生には、是非とも「ゲルソン療法の進展具合と渡邉勇四郎先生の外来受診のお話をしたい」と考えていましたので、診察が終わってから帰りに横浜駅西口でお話する約束をいたしました。

自分の順番になり、診察室に呼ばれました。前田先生は、ひと月前と全く変わらずお元気のご様子です。先生のデスクの前に、日本地図が貼られているのに気が付きました。
地図に青いマークが、6つ程付けてありました。どうやら、お弟子さんが全国で6人ほど
できたようです。北海道、茨城、東京、名古屋、岡山、兵庫といった付近のようです。

友部 「先生、今日は、9月に受けた人間ドックの結果をお持ちしました」
前田 「どこか、問題がありましたか」
友部 「PSAが、基準値の4以下ですが、ここ2年としては、大きく伸びています」
前田 「君は、胃がんだろう」
友部 「はい」
前田 「ここで、検査してなければ、問題ありません。このテストは、いい加減のように
    見えるかもしれないけど、そんな検査より、よっぽど正確だよ。ここで見つか
ったとしても、それは30年後に一般の検査で見つかるレベルだからね。」

先生は、そう話されて、いつものようにテストを開始されました。「O-リングテスト」では、今回も「がんゼロ」を宣言していただけました。次回は、2ヶ月後の受診で良いことになりました。マイクロ波の照射を受けて、次回の予約を1月26日(火)にさせていただきました。

日々の「自主トレ」に自信を得ることができました。いつもは、このまま速攻で帰宅していますが、今日は陶芸家の先生に、ゲルソン療法のお話をするため待合室に残っていました。
横浜駅西口のドーナツ屋にて、10分程時間をいただき、前回の渡邉勇四郎先生の診察の模様をお知らせすると、「随分良心的な先生ですね。厚木は少し遠いですが、友達を誘っていってみましょう。」と前向きなお返事を頂戴いたしました。
また、戸塚洋二先生が大腸がんから肺や脳に転移してお亡くなりになったドキュメントのお話もしました。抗がん剤が効かなくなったら、より副作用の強い抗がん剤に変えて、結局は、2年も持たずに亡くなられたこと。なぜ、抗がん剤以外の可能性を試して、科学者とし検証してやろう!ぐらいの可能性を追求しなかったのか?二人の関心は、そこに集中してしまいました。東大には「O−リングテスト」の権威もいらっしゃったのに。

「とにかく、がんは毎日生成されているのですから、一度がんになってしまった人は、自分の細胞の環境が、がんをアポトーシスさせる力が弱くなっているのは確かですから、毎日、温熱器を自分でかけることは最低限ですよね。そして、定期的にマイクロ波を浴びる。できたら、がん細胞が自らがんをアポトーシスさせるようように、細胞内の環境を回復するよう食事療法を実践する」ことを、互いに確認して別れました。

 

三井ヘルスケアみと